意思を置き去りにする思考
止められない思考が嫌いだ
考え始めたら止められない思考が嫌いだ。
何かに触れた時、自動で構築されていく思考が、
「今は別の事をしたい」という意思を反映してくれない思考が、
自分で自分を置き去りにする思考が嫌いだ。
元々考える事自体は好きだ。深く突き詰めて原因や対策を見つけたり
問題を分解して整理し向き合う事は自分を一歩先へと進めてくれる。
ぐるぐる悩むという事は無く、全ての思考は終着点へと突き進む。
問いは問いでは終わらない。議題は一つとは限らない。
誰へと共有されもしないその解が、その景色が、私を違う世界へと引き上げる。
確かにそれは有意義で、甘美で、ある種特技と言っても過言ではない。
しかしそれは、あくまでも「自分の為に」する事であって
「他人の為に」考え始めるのは苦痛でしか無い。
他人の為に力を使うのはそうしたいという「意思」がある時のみ快楽と成り得る上に
その快楽も最終的な成功報酬として相手に支払われて得られるものだ。
報酬が無ければ気力は尽き果てやがて動けなくなる。
過大な奉仕は身を滅ぼす。そんな事を望んでいる人間は何処にも居ない。
思考が止まらぬなら、思考し始める要因を取り除く他は無い。
そうして私はそっと、君の通知をオフにする。