言いにくいことを書くぶろぐ

一人の人間として吐露したかった事を書き連ねるぶろぐ

受け入れるという空虚

 無かった事にされる「ショック」

私は受け入れる事が得意だ。

それを失ったら何が出来るのかと問われるレベルで

突出して秀でていると自覚している。

 

嘘だ と突き放す事も

嫌だ と反発する事も 通常の人間より少なく生きて行けるだろう。

 

しかしそれは「得意」であって「気質」では無く、

自身の意思に関係なく行使されてしまう非常に空虚なものだ。

 

 人の言葉に、提示されたものに、なされた行為に

 

どれ程のショックを受けようとも

どれ程のダメージを受けようとも

 

気付いた頃には何も感じなくなってしまう。

 

傷ついた気持ちも 溶け散った時間も

何も無かったことにはならないというのに

 

何故か穏やかに 時に温かに

全て受け入れる気持ちに様変わりしてしまう。

 

あの時の悲しみは あの時の怒りは

まごうことなくそこに存在していた筈なのに、

誰にも否定できない確かなものであった筈なのに。

 

時間が経つといとも簡単に覆り、無かったかのようにされる。

禍根も悔恨も残さず矯正されてしまう。

自分の気持ちに嘘をつく訳でも、覆い被して隠す訳でも無く

感情は取り除かれ無かったことにされる。

 

傷を受けたという記憶だけが、そこに残る。

時が過ぎたという記録だけが、そこに残る。

 

自分自身に奪われた感情が戻ってくる事は無く

ただただ空虚が広がってゆく。

 

確かに私は平穏を望んだ。

確かに私は感情を悔やんだ。

 

しかしそれは無くして良いものだったのか?

果たしてそれは自身に良い行いだったのか?

 

善意は善意で返したいという気持ちは

努力は努力と認めたい気持ちは

自身の感情より優先して処理されるべき事項なのだろうか。

 

問えども答は返ってこず、空いた部屋には何も入って来ない。

がらんどうの心を抱えながら 涙の跡だけを数え

今日も私は平穏に生きてゆく。