1割の人間に立つ孤独
作品に満足できないマイノリティ
惜しいと思ってしまう作品がある。
多くの人が熱狂し、多くの人が称賛する作品で、
「ここがこうだったら」「この間にこれがあったら」そう思う作品がある。
作品が悪い訳では無い。多くの人はそれで満足しているのだから
その作品は間違いなく成功と言えるだろう。
作り手が満足したものを作り、受け手の大多数がそれを幸せに享受できたのならば
その作品は素晴らしいし評価されるべきだと言えるだろう。
1割の人間が不満を感じようが感じまいが、9割の人間の満足度が変わらないのであればそれ以上追及する必要性はきっと無いだろう。
そんな事を考え、何故その満足に感じられない1割にいつも属するのかといつも思う。
1割に属すると孤独だ。
周りは9割の人間に溢れ、視界は肯定的な意見で埋め尽くされる。
自分の不満の意見を出せばその人々が悲しむ事は想像に難くない。
空気を読まない人間であれば良かったのだが、生憎そう都合よい性格を持って生まれては来なかった。
他に捌け口があれば良かったが、適する相手も場所も選ぶ事が出来なかった。
私は私を抑圧する事でしか、自分の居場所を守る事が出来そうになかった。
酷く脆く惨めで、哀れな生き物でしかなかった。
1割に属するのは、何も作品に対する時だけではない。
様々な事象で巻き起こる論争や、生きてきたその生い立ちへの価値観で。
どれを選びとってもマジョリティにはなれそうもなかった。
唯一マジョリティとして確立しているのは性別くらいなものだと思うが、
それもまだ曖昧で不明瞭で、実に空虚なものでしかなかった。
ここまで来たら一生孤独を傍に置いてみようか。
そんな事を思い、また闇に飲まれる。